History of Ohana
古地図
「御花」の起源

「御花」の歴史は、元文三年(1738)に始まります。
この年、柳川藩五代藩主、立花貞俶は、
柳川城の南西隅にあたる、当時、 御花畠と呼ばれていた
この地に別邸を築きました。
そこでは藩主の側室とその子供たちが暮らし、
藩主は政務の疲れを癒し家族と和やかな時を過ごすため、
時おり御花畠を訪れました。

正門
「藩主別邸」から「伯爵家住宅」へ

明治時代、立花家は伯爵となります。
御花畠の邸宅も新築され、
明治43年には洋館と和館が
並び立つ新しいスタイルの
立花伯爵家住宅が完成しました。

人々

伯爵家住宅では、立花家の当主と
その家族が暮らしていました。
当時の伯爵家住宅は、
たくさんの建物を回廊で
つないだ構造で、立花家の人々は
庭園に面した伝統的な日本家屋で
日常生活を営んでいました。
当時の古写真を見ると、
主に男性は洋装、女性は和装で
過ごしていたようです。

西洋館

西洋館は木造2階建ての洋風建築で、
立花伯爵家の迎賓館です。
玄関には華やかな三連アーチが
設けられ、内部も伯爵家住宅に
ふさわしく重厚な装飾が
ほどこされています。

松濤園

大広間と御居間に面した
庭園・松濤園は明治期に入って
整えられた近代庭園です。
池を中心に、周囲に280本もの
松を配した華やかな庭で、
池の岩島の配置には当時の
伯爵寛治の意向が
強く反映されています

料亭旅館
「料亭旅館・御花」の誕生

終戦後まもなく、御花は新たに
「料亭旅館 御花」として
再出発を果たします。
旧華族たちが戦後困窮する中、
当時立花家の当主であった和雄と
その夫人文子は、旧伯爵邸を利用して
料亭業を営むことを決意しました。

立花家の人々

最初は手探りの状態でしたが、
やがて「御花」は水郷柳川の
観光の拠点として、また、大名文化を
今に伝える文化施設として
親しまれるようになりました。

現在の御花

時代の流れとともに、
御花はたえず変化してきました。
しかし、変わらないこともあります。
それは、御花が
郷土柳川とともに歩んできたこと。
そしてこれからも、
御花はここにあり続けます。