柳川御花 > 歴史
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江戸時代中期、元文年間頃(1738〜1740)には、藩主が政務の疲れをいやすために、たびたび立ち寄っていたことが日記にも書かれています。
当時、この辺りは「御花畠」と呼ばれていたことから、柳川の人々は親しみをこめ「御花」と呼ぶようになりました。
明治43年に十四代立花寛治によって、立花家の迎賓館として建てられた、鹿鳴館様式の流れをくむ西洋館や、
約280本のクロマツからなる、国指定名勝の庭園の「松濤園」。
暖炉やランプシェイド、シャンデリアに能舞台。華やかなりし時代の面影がそのままに。
御花は、地元に愛され続けてきた、水郷柳川のシンボルであり、歴史を刻み続けます。